鎚起銅器とは
新潟県の弥彦山の裏にかつて間瀬銅山があり、そこから良質な銅がとれたため加工したのが始まりといわれる鎚起銅器。0.8~1mmの一枚の銅板を切り取って金鎚で叩いて打ち縮めて作っていくものです。銅板は叩くと堅くなるため火にかけて柔らかくしてはまた叩くという作業を繰り返す大変根気のいる仕事です。
今回は、手打ちだけで器手打ちだけで器手打ちだけでつくる鎚起銅器職人の大橋保隆さんにお話をお伺いすることができました。
年季のはいった手仕事の道具たち
大橋さんの仕事場にはいるとそこにはたくさんの道具が並んでいます。
年季のはいった欅の盤にはさまざまな大きさの穴があけられていて、そこに両先が違う形をした鉄の棒をひっかけ、手で回しながら金鎚でたたいていくのだそうです。形によって道具を使い分け、あとは丹念にたたいて手の感覚で形をつくっていきます。金鎚もまたさまざまな形状のものがあり、光っているもので叩くと、銅板も光るのだそうです。
昔の銅は不純物があってそのほうが深い色になったとか。
大橋さんが鎚起銅器の職人さんになったきっかけは、御父様の存在。同じ鎚起銅器の職人さんだったため、保育園のころから夢は職人さんだったとのこと。鎚起銅器の会社玉川堂に入社したのは22歳のときで、それまではアルバイトをしたり旅をして各地を巡ったりしていたそうです。
-作品を作り上げているときにどんなことを考えながらされていますか?
何も考えていなくて無心でたたいているときもありますし、叩いているとその時に新しいアイディアがひらめいたりします。
無心の時はいいときですね。基本的に自分の音しか聞こえないので、最初は整わないのですがだんだん整ってくるといいですね。
最初は思う通りの作品はできず、錫(すず)の塊(かたまり)を平らに伸ばす練習をして、金鎚でたたく練習をしたそうです。最初に銅板で作らせてもらったのは、背の高いカップで、思った通りにはならなかったとのこと。自分の思う通りの作品ができるようになったのは独立してからで、12、3年ぐらいしてからのことだそうです。
基本的には叩いているうちに気分を整えていけるのですが、全くのらないときにはやらないです。
すぐにやめて掃除して、違うことを、たとえば本を読んだりなど別のことをします。
―これからの目標についておきかせください。
いまは、もう一人一緒に働いてくれる人がいたらいいと思いますね。自分なりの作り方があるので、例えば落として形が変わったりとかしたときにお直しがあるのですが、自分の仕事を知っている人がいてくれればと思うので。一緒にできたらいいなと思います。基本的にずっと一緒にいるひとなので、感覚で「この人だったら」という人がいいですね。男性でできれば若いひとで。
最後に職人さんの世界を目指す人たちへのメッセージをお聞きすると
「何の職業でも一緒かもしれないですが、御縁を大切にして一生懸命されていたらきっといいことがあるよ、と思っています」
という答えが返ってきました。
大橋さんは、銅鍋をつくるクラスをさまざまな場所でされていますが、その活動についてこんな風にお話しされました。
「一枚の板から物ができることを通して、みんなものごとは元があって、どうできて、ということを知ってもらえれば。そういうことを銅鍋をつくる作業を通して感じていただけたらとおもってやっています。」
大橋さんのFacebookに、
「生活の中にどんな美しさを持ち込める工藝をするか」
という言葉があり、私はこの言葉がとても好きです。大橋さんの作品に込められた思いを味わいながら生活の中にこの美しく心のこもった味わい深い工芸品を取り入れていけたらどんなに素敵だろうかと心から思いました。
ものに宿るこころ
平らな銅板からカタチを織りなす器。
どんな想いで
どんな空間で
それが創られたか
感じてもらえれば幸いです。
(大橋さんのホームページhttp://higesyokunin.lovepop.jp/より)
大橋さんの魂のこもった作品たちはこちらです。
インタビュアー 高成田りな