冬がおわり、木々が芽吹く春。わたしたちは3月の末頃からソメイヨシノの開花に合わせてお花見をすることができます。
ソメイヨシノが普及したのは明治といわれているので、昔の日本では山桜で花見をしたものでしょうか。いまも山桜は街中のソメイヨシノとはまた違った趣で山の中でひっそりと花を開きます。
花見の起源
そもそも日本人はなぜ桜を愛するのでしょうか。その起源は、山の神様「サ」神、が山からおりる途中で桜の木にやどったといわれたという説があります。サ神を信仰する農民はが桜の木に供え物をし、豊作を祈り、宴を催したと言われています。
また桜は山の神が降りてくる時の目印になる木として宿る場所としての磐座のクラといわれ、「サクラ」と呼ぶようになったともいわれています。
桜が咲き始めるとわたしたちは暖かく、過ごしやすい春を、ワクワクとした気持ちで迎え入れることになります。
人知れず咲き、散っていく山桜
「散る桜 残る桜も 散る桜」 良寛和尚
江戸時代の曹洞宗の僧侶で良寛和尚の辞世の句と言われている歌です。
いまどんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散ることをうたっています。
いま、生きるこの命をどう生きるか、を考えさせてくれる句ですね。
人里離れた山の中で、ひっそりと咲く山桜。山の中で咲く桜は、人知れずその場所で咲き、静かに散っていきます。
わたしたちは、満開に美しく咲き誇る桜より、その散る姿にはかなさを感じ、より魅了されるように思います。
遠くにまだ雪の残る山々をのぞみながら、桜の花弁がはらはらと散るのを眺めていると時間を忘れてしまいます。ときには大きな老木の下にたち、その花吹雪を浴びながら、桜を見上げる。
そんなときに、この句を思い出すのです。
花見シーズンの詩歌
「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」「伊勢物語」在原業平
(意味)
この世の中に、桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちで過ごせるだろうに、桜には魅力があってのどかな心ではとてもいることはできない